「救いの門をくぐる」  05.07.17
              使徒言行録3:1〜10

 生まれつき足の不自由な男が、ペトロたちからイエスさまの
名を伝えられました。そのことによって、この男の人は立ち
上がりました。
 更に、それまでは入ることが許されなかった神殿の門の中に
入って行き、神さまを心から賛美する者となりました。この人の
救いにとって、イエスさまの存在が決定的なことですが、
イエスさまを伝えた人の存在も不可欠でありました。
 自分ひとりで信仰者になった人はいません。誰にでも、
この男にとってのペトロのような存在が必ずあるはずです。
 自分のことをじっと見つめて心を注いでくれ(4節)、手を差し
伸べてくれ(7節)、一緒に教会で礼拝を守ってくれた(8節)人たちの
存在を思い起こすことができるはずです。
 私たちの信仰生活の出発点には、何も知らない自分に対する
信仰者たちの愛のまなざしが一杯ありました。
 信仰の出発点を思い起こすことは、周囲に対する感謝の心を
生みます。

 自分が伝道された事を感謝と共に思い起こす時、今度は自分が
伝道する者として押し出されます。伝道は、ペトロたちがそうで
あったように、相手のことをじっと見つめることから始まります。
 見つめない、無関心の中で伝道はなされません。興味本位で人の
ことを詮索するようにしてジロジロ見ることとは違います。イエスさまの
ことを知って救われてほしいとのまなざしをもって接することです。
 信仰を求めている求道中の方、まだ信仰を持っていない家族や
知人に対しても、そのようなまなざしを持つ者でありたいのです。

 ペトロは「わたしたちを見なさい」と言います。
 自分の立派さを見せるのではありません。「欠けある罪人にも
かかわらず、イエスさまによって救われた幸せな自分を見なさい」と
いうことです。 この男の人は、最初は何かもらえると思っていました。

 伝道する時に相手の求めているものが違うことはあります。
 そこで退けるのでなく、なおイエスさまを伝え続けます。
 救いの門をくぐり永遠の救いに入れるようにしてくださるのは、
イエスさまだからです。